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移動する民 #01

アートとは何かと問われれば「考えるためのツール」と答える。さまざまな角度から思いもよらない方法で新しい道をさし示してくれる。それは制作時も鑑賞時も変わらない。

私にとって最大のお題目は「人類はなぜ絵を描くのか」。それを考えるためにさまざまなことをやってきた。なので私には一貫した制作スタイルというものは無い。マーケットはスタイルを気にするのだろうがどうでもよいことだ。

そして最近は「移動」について考えている。

このところの気候変動に伴って動植物が移動している。魚や珊瑚も生息域を変えつつある。そもそも地球は気候変動を繰り返してきた。その度に絶滅するものらがいた。

不思議なのは6万年前の氷河期のさなかに温暖なアフリカを出てわざわざ極寒の地へと向かった人類だ。最終的に南米大陸の最南端へと到達した。そこはマイナス20℃という酷寒の地ながら20世紀までほぼ裸身の先住民が暮らしていた。驚異的な環境適応能力である。しかしヨーロッパ人との接触であっけなく絶滅した。

人類以外は生存に適した環境を求めて移動をしているが、人類だけはどうも様子がおかしい。わざわざ困難な方へと引き寄せられでもしているかのようだ。

海面の低かった氷河期はインドネシアや台湾などは大陸と地続きだったようだが、日本列島は当時も島だった。なので私たちの先祖はわざわざ何があるかわからない海の向こうへ行くために舟に乗り込んだのだ。

私にはこの死に引きつけられるかのようにまだ見ぬ世界を求めて移動を繰り返す人類の行動が「人類はなぜ絵を描くのか」という問いと地続きなのを感じる。現実とは別の世界を希求し生み出してしまう遠い眼差しを感じる。太古の人類が残した壁画や土偶を見ればそのSF的な想像力が現在の私たちと何ら変わらないことを教えてくれるのだ。


そもそも原始人は自然と調和して素朴に生きる人たちではない。現代人以上に未知の世界に憧れ新しい知識を欲しSF的な想像力を発揮しながら冒険しつづけた人々のように思う。

ついでに言えば現在を生きる先住民族も辺境に引きこもって原始的な生活をしているわけではない。IT技術を駆使してハイセンスな衣装を纏い、こちらも未来に向けてSF的思考で現状を乗り越えようとしている。ヒッピーやスピリチュアル団体が自分たちの理想を投影して押しつけ文明批判に利用してきたイメージからもう離れなくてはならない。

ペルーの若者は先住民の言語でラップを歌い、ネイティブ・アメリカンやネパールなど各地のアーティストは背負わされた先住民のステレオタイプを脱ぎ捨て未来的なイメージに刷新しながら先祖の知恵を伝えている。


「移動」について考える中で私たちのコレクティブは信州安曇野の地名の由来である安曇族に注目してリサーチを行っている。この安曇族は大陸出身で海の民として交易や水軍として活動していたが大陸での戦に敗れ九州に渡り、九州でも逆賊として追われ日本全国へと散らばっていったようだ。その一部が海から離れた山間の安曇野へとたどり着いた。この地域の祭りの神輿は船の形をしていて安曇族の歴史を今に伝えている。

彼らはいわば難民である。難民が土地の文化を生み出したというわけだ。

いま世界中で起きていることとその未来を考えるきっかけにはなりそうだ。

そもそも日本の芸能はまれびととして村から村へと渡り歩く遊芸の民がもたらしたのだから文化と移動は切り離せない。そのあたりは去年のプロジェクト「土着とストリート」のテーマでもあった。

しかし欧米の状況などを見ていると移動は衝突でしかない。

今世紀後半にはアフリカ人が世界の人口の半数を超えるという。

私たちが季節の変わり目にいることは間違いがなさそうだ。


「移動」を巡っては考えることがまだまだたくさんあるが、リサーチと思考のひとまずの成果は展覧会「移動する民 Homo Mobilitas」として2025年1月に松本で発表します。


岩熊力也


写真*野焼きで生まれたライチョウの方舟に乗る難民土偶


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